絶対喜ばれる心のこもった贈り物をご紹介するプレゼントソムリエは、自他共に認める気配り満点の管理人プレゼントソムリエが運営しています。

気を遣うのが好き

管理人プレゼントソムリエは、自他共に認める気を使いマンで、他人に気を使うことが苦になりません。

というか、他人に喜んでもらえる事が大好きであり・・・気を使われることが少し苦手だったりします。。。

ただ・・・やはり人間ですので(というか、未熟者なのかもしれません。)、こちらの気配りに礼の1つも無いとムッときたりもします。

更に、こちらの気持ちを汲もうともしない人、『ありがとう』や『ごめんなさい』が言えない人は・・・苦手です。(ついでに、時間にルーズな人、人を待たせて平気な人も苦手です。)

贈り物の難しさを知った時

そんな気を遣いマンの管理人プレゼントソムリエには、私の人生を語る上で欠かせない大学時代の恩師がいます。

私は大学卒業後、上に残る事が出来、更に海外に行く事が出来たのですが(私事ですが、5年間、海外生活を送りました)、それは全て、この恩師のお陰になります。

因みに、私が結婚する際は、仲人をして頂きました。

学生時代の我が恩師は、穏やかながらも厳しさを持ち合わせた先生でした。

そして、ゼミの前などには『コーヒーを飲んでおかないとな。君たちの発表を聞いていると、眠くなってしまうんだ。君たちが私の授業を聞いて、寝ている気持ちは良く解るよ。』と笑っていました。

そんなコーヒーがお好きな先生でしたので、私は海外に出張すると、お土産にはコーヒーを買って贈っていました。

ところが・・・私が海外駐在中、恩師が大病を患っていたのは知っていたのですが、その大病を境に先生はコーヒーを飲むのを止められていたそうなのです。

それを知らずに、かなり長い事、海外出張のお土産にはコーヒーを贈っていた私・・・。

私が完全帰国した時には、大学を定年退官なさっていたモノの、その後も大御所先生として活躍なさっていた先生は、お会いすると『原稿の締め切りが迫っていて・・・どうしよう・・・』が口癖でした。

そして、そんな先生に『先生の論文が発表されるのを楽しみにしていますので、このコーヒーを飲んで仕上げて下さい。』という言葉を添えて、コーヒーを贈っていました。

ところが・・・前述の通り、先生は私が海外にいる間に大病を患い、それを境にコーヒーを止められていた・・・。

コーヒーを手土産に先生の所に顔を出すと、いつも『有難う!そんな気を遣わなくてもいいんだぞ。』と、いつも笑っていらっしゃいましたが、記憶をたどると・・・確かに『この間はコーヒー有難う。美味しく頂いたよ。』という言葉は有りませんでした。。。

年上の方へのプレゼントは、自分がその年齢に達していない、経験していないが故に、贈るのが難しいのは有ります。(若い方へのプレゼントならば、自分がその年齢の時の事を思い浮かべながら贈る事が出来るので、多少ヒントを持っていると言えるかと思います。)

我が恩師への贈り物に結果として失敗していた事に気が付いた私が、自戒の念を持ってこのサイト開設に至った経緯です。

気持ちを掴む名人

そんな管理人プレゼントソムリエが私淑しているというか、他者を慮る姿として見習いたいと思っているのが、田中角栄氏になります。

政治家としての田中角栄氏の評価は・・・あえて私見を述べる事も控え様と思います。

ですが、人間田中角栄、人を慮る事に関して、田中角栄氏の数々のエピソードを聞き、管理人プレゼントソムリエは「人を思いやるというのは、この様な行動を言うのか!!」と心から感嘆すると共に、自分自身も他人に対し、この様に接したい、と私淑しています。

少しばかり、エピソードを紹介しますと・・・

田中派の一回生議員が美人局に遭い、解決のために多額の金銭が必要となってしまった。
様々なツテに頼ったがどうしても100万円(現在の価値では3倍以上)と少し足りない。
選挙を終えたばかりで借金のあった議員は万策尽き、田中の事務所に電話をかけて借金の申し込みをした。
事情を聞いた田中から「分かった。すぐに金を用意するから取りに来るように」と言われ、急いで事務所に向かうと、田中本人は急用で外出しており、議員は留守番の秘書から大きな書類袋を受け取り、その中身を確認すると300万円が入っており、同封されたメモには以下のように書かれていた。
「トラブルは必ず解決しろ。以下のように行動しなさい。
1. 100万円使ってトラブルを解決すること。
2. 100万円を使って世話になった人に飯を奢る乃至、必ず御礼をすること。
3. 残りの100万円は万一のトラブルの為に取って置くように。
4. これらの金は全て返却は無用である。」
その議員は感涙し、後々まで田中への忠誠を守り通した。

困った時、曇った時にこそその人の本当の顔が見えると言ったりもしますが、男として、この様に面倒を見てもらったら・・・それこそ男泣きしますね!一生この恩を忘れない!と堅く心に刻み込むことでしょう。

派閥が違う上に田中角栄とほとんど面識のない議員が資金繰りに窮し、田中の事務所に来て300万円の借金を申し込んだ。
田中は、わざわざ派閥の違う自分にまで助けを求めねばならないほど追い詰められている相手の窮状を察し、その日のうちに金を用意し、「困ったときはお互い様だ。この金は返さなくていい。俺が困ったとき頼む」と言って、その議員に紙袋を渡した。
その議員が、後で紙袋の中を確認すると、500万円が入っていた。
実は、その議員は田中に遠慮して、借金を申し込む際の金額を300万円としていたものの、実際には500万円を用意しなければならない状況であった。
その議員は、田中に忠誠を誓った。

面倒をみるというのは、この様な事をいうのか・・・と思うとともに、田中角栄氏に未だに魅了される人が多いのも納得のエピソードです。

田中角栄は、お金を渡すときは細心の注意を払い、相手によってプライドをくすぐり、あるいはプライドを逆なでしない枕詞を使用し、賄賂と取られないように細心の注意を払って渡していた。
政治家に対しては「お金はいくらあっても邪魔になりませんから」「資金はあると思いますが、まげて収めてください」「党のため、国のため、あなたには当選してもらわなくてはなりません」等。官僚に対しては「このくらいの金で君は動く男じゃないだろう? 俺の気持ちだ!」「俺だって見返りを要求するほど愚かな男じゃない」等。また料亭で働く人々に対しては女将に「これを皆さんにお願いいたします」など徹底的に腐心してプライドを傷つけず渡していた。

驚異的な記憶力の持ち主であることは衆目の一致するところであり、有権者に逢うと即座に名前、家族の年齢、悩み、仕事などを瞬時に思い出していた。これらに関しては曰く「まあ美人の顔を覚えるようなものだ」。どうしても思い出せない時は「あなた誰だっけ」と聞き、相手が苗字で返すと「そうじゃない。苗字は知っているが、名前を聞いているんだ」と言っていた。

冠婚葬祭、特に葬儀には細やかな心配りを見せ、そのエピソードは多数ある。
・田中派の重鎮、竹下登の父が死去したとき、飛行機をチャーターして、田中派の議員とともに葬儀に訪れた。総勢69人国会議員が、人口4,000人の村を訪れた。
・河本派議員の渋谷直蔵の妻が死去したとき、田中はすぐさま花を贈った。本葬まで一週間あると知ると「花が枯れてはいけない」と言って、新しい花にその都度取り替えていた。
・大手会社の社長が妹を亡くしたとき、田中は、誰よりも早く花輪を届けた。そして、「花が枯れたら故人もかわいそうだ」ということで毎日花を取り替えさせた。
・社会党の某議員がの愛妻が亡くなったとき、田中は、社会党議員の誰よりも早く式場に現れ、関係者を驚かせた。恩を感じた議員は、田中が窮地のときは、党の枠をこえて行動した。
・政敵だった社会党委員長の河上丈太郎が亡くなったとき、田中は、わざわざ火葬場まで出向き、12月の寒さと雨の中、2時間立ち続けて野辺の送りまで行なった。
・盟友の石破二朗が死去したとき、田中は、国会議員による友人葬において葬儀委員長を務め、鳥取県民葬より多くの弔問客を動員させた。友人葬が終わって、目白の田中邸に石破家を代表して長男である石破茂が訪れた。田中は、彼に対して「君がお父さんの遺志を継いで、衆議院に出るんだ。日本のすべてのことはここで決まるのだ」と説き、石破茂を政界入りさせた。
・田中派議員の小林春一は、妻を亡くし途方に暮れていたとき、田中から連絡が入ったので、田中の事務所に向かった。そこで、田中からお悔やみの言葉をかけられ、さらに渡された封筒には100万円が入っていた。小林は、その金で立派な仏壇を特注し、田中に忠誠を誓った。
・大石三男次という後援会の大幹部の父が亡くなったとき、田中は葬儀に出たかったが、別の葬儀が重なったため、大石に電話をして、葬儀は伸ばせないかと尋ねた。大石は断ったが、田中は、当時幹事長で激務であったにもかかわらず、なんとか時間を割いて、葬儀場に駆けつけた。
・ロッキード事件で田中が逮捕起訴された後であったにもかかわらず、田中の実母であるフメが亡くなったときには、葬儀参列者が3000人を越えた。飾られた花輪は、600本以上あったが、それでも実際に贈られた数の半分以下だったという(あまりにも多すぎて断ったため)。また、この葬儀の前夜には、国鉄のストライキがあったので、東京から6時間かけて車を飛ばして駆けつけた議員(当時は関越自動車道が全線開通しておらず、東京からの車での移動にはこれほどの時間がかかっていた)や、飛行機で新潟へ行きそこから車を使ってまで来た議員もいた。なお、田中は、この日衆院本会議で財特法案の採決が行われるため、田中派議員を中心に、葬儀への参列を自粛し、「本会議への参加」「公務優先」を指示していた(当時は伯仲国会であり、欠席議員が増えると、法案が流れる恐れがあったため)。それでも、衆参両院で約30人の議員が参列した。もし、国鉄ストと財特法案の採決という2つの事情がなければ、相当数の議員が参列していたと言われている。

他者を本当に慮る事が出来る人だからこその行動ですよね。。。

田中角栄の名言「祝い事には遅れてもいい。ただし葬式には真っ先に駆け付けろ。本当に人が悲しんでいるときに寄り添ってやることが大事だ。」
田中角栄はどんな政敵の葬儀にも真っ先に駆け付け、涙を流してその死を悼んだ。
葬儀から1週間が経過したとき、改めて新しい花を届けさせた。
「最初の花が枯れる頃だ。遺族も一番悲しみが募る」
人が悲しんでいるとき、本当に悲しみを共有できるか。
人が喜びを感じたとき、本当に心から祝福できるか。
田中角栄は「偽りのない感情」を人に伝えることで、多くの人の記憶に残る政治家になった。

この様な田中角栄氏のエピソードは枚挙に暇ながなく、田中角栄氏を知る方の多くが氏に心酔し、そして、田中角栄氏のエピソード「男気」を聞き、なんて素晴しい方だったのだろう・・・と惹かれる人もまた、枚挙に暇がありません。

一例を上げれば、ダウンタウンの浜田雅功氏が尊敬する人とし、「田中角栄」と即答している事などは有名な話と思います。

管理人プレゼントソムリエも、この様に他人を慮れる様になりたい・・・と思いつつ、『ありがとう』や『ごめんなさい』が言えない人間はキライとか、時間を守らない人間はキライ、と気難しい事・・・というよりも、田中角栄氏を思うと、人間の器の小ささを実感してしまう事ばかり言っております。。。