私と顔の描かれていない小さな小さな人形、Willow Treeとの出会いは、ある見本市でした。
とても大きな会場で催された見本市の、一番隅のブースで、顔の描かれていない小さな人形は、静かにたたずんでいました。
顔の描かれていない小さな人形・・・ですが、おそらく顔の描かれていない人形を見た人全員が、その小さな人形の顔、あるいはその姿に、自分の人生の様々な思い出が溢れたのでは・・・と思います。
私は一人、じっとその顔の描かれていない小さな人形に心を奪われ、長い事魅入っていました。
そして、顔の描かれていない小さな人形を見て私が思い出した、小さな人形に見たのは、一年前に永遠の別れとなった大好きだった祖母の事でした。
インテリア彫像・天使像 Willow Tree(ウィローツリー)
会場の隅に並んだ小さな顔の描かれていない小さな人形・・・それは、Willow Treeという名の人形でした。
上の写真は、某見本市で展示されていたウィローツリー(Willow Tree)の一部なのですが、多分、私の説明は何もいらないかと思います。
ウィローツリー(Willow Tree)は、顔の描かれていない小さな人形なのですが、その姿、そして、描かれていないはずの表情は、見る人により笑顔に見えたり、愛情たっぷりに見えたり、祈りの表情に見えたり、あるいは癒しを与えてくれたり、人を好きになった時の気持ちを思い出させてくれたり、あるいはペットとの友情を思い出させてくれたりと様々、とても表情豊かです。
そして、私が初めて手にしたウィローツリー(Willow Tree)は、花を持ったこちらの作品で、その姿に、昨年永眠した祖母の姿を重ねていました。
ウィローツリー(Willow Tree)に重なった大好きだった祖母の事
最後の別れとなった棺の中の祖母は、とても静かで安らかな寝顔にも見えましたが、同時に孫の私、あるいは自分の子供たち(私の親)を心配しているかの様にも見えました。
また、祖母が永眠した事を、生前お世話になった方に電話で伝えた際、電話した相手全員に、私が嗚咽しながら伝えた事を「男なんだから泣くな!」と叱っているかの様にも見えました。
そして・・・「別れは必ずやってくる、天国からずっとずっと見守ってるから、泣かないで!」と励ましているかの様にも見えました。
永眠しても尚、私の心の中で生き続けている祖母・・・。
祖母には私を含め、孫が4人(因みに全員男)いたのですが、葬儀の際、雑談で「おばあちゃん、オレ達4人の孫の中で、誰の事を一番可愛がってたと思う?」と、戯れを話した時、4人が4人共、「自分!」と答えました。
私たち4人の孫は、全員が「自分こそがおばあちゃんに一番かわいがってもらっていた!」と思う程に、祖母は全員に同じ様に、深い深い本当に深い愛を注いでくれていました。
花を持って静かにたたずむ顔の描かれていない小さな人形は、祖母の深い愛情を思い起こさせてくれる、心の琴線に触れる作品でした。
祖父の病室の窓際へ
初めて手にした顔の描かれていない小さな人形、私はそれを祖父にプレゼントしました。
祖母の2歳年上で、祖母に口癖のように「オレが逝って、二年してから来いよ!」と言っていた祖父。
祖母が亡くなった時、家族の前で涙を見せなかったものの、その日の夜、施設のベットで一晩中嗚咽していた祖父。(後日、施設の方から聞きました。)
その祖父の施設の部屋の窓際に、私は顔の描かれていない小さな人形を置いてきました。
祖母に先立たれ、この一年でめっきりと気が弱くなった様に感じていた祖父。
帰省し、祖父の入っている施設を訪ねても、「いつ帰って来たの?」、「元気にしてた?」、「いつまでいんの?」、「身体に気を付けて、頑張って」と、決まった言葉しか発しなくなっていた祖父。
祖父の視界に入る様、窓際に顔の描かれていない小さな人形を置くと、祖父はしばらくそれを眺め、そして一言「ありがとう・・・」と呟きました。
ほぼ寝たきりになってしまった祖父にとって、窓際に置いた顔の描かれていない小さな人形を見るというのは、恐らく全身の力を振り絞って顔を向けねばならない事かと思いますが、それでも毎日、顔の描かれていない小さな人形に魅入っているそうです。
祖父が顔の描かれていない小さな人形に誰を重ねているか・・・祖母か、或いは娘(私の母)か・・・おそらく両方で、見る時によって違うのでは・・・と思います。
90歳を過ぎ、家を出て施設に入らねばならなくなり、家族と離れて暮らしている祖父は、顔の描かれていない小さな人形を見て、家族の支えを実感してくれるていると思っています。
私とウィローツリー(Willow Tree)との出会い、初めてのウィローツリー(Willow Tree)を綴らせてもらいました。
ウィローツリーの公式サイトはこちら↓↓