バレンタインデー

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さて・・・2月14日のバレンタイン!

女性から男性にチョコレートを贈る日ですが、これは、日本だけの風習になります。

参考⇒世界のバレンタインデー

当サイトでも何度かご紹介していますが、日本のバレンタインデーを紐解くと・・・昭和11年に『モロゾフ』が日本で初めてバレンタインデーの広告を出し、昭和33年に『メリーチョコレート』がバレンタインにチョコレートを贈ろうというキャンペーンを実施し、これが現在のバレンタインとなりました。

それ故、日本のバレンタインにはモロゾフが起源説とメリーが起源説が有ります。

この日本のバレンタインの歴史に関して、「モロゾフ」説と「メリー」説から義理チョコの始まり、そして友チョコやご褒美チョコといった現代のバレンタインまで徹底的に検証した記事を目にする機会が有りました。

中々興味深い記事でしたし、バレンタインの薀蓄として知っておいて欲しい内容、バレンタインのトリビアとして面白い内容でしたので、こちらでご紹介、シェアしたく思います。

以下、引用。

日本のバレンタインの起源

今から222年前、日本に於ける初めてのチョコレートの記録が史実に刻まれた。

「しょくらあと六つ」

1797(寛政9)年、長崎の遊女町の記録『寄合町諸事書上控帳』に出島のオランダ人から遊女が受け取り、届け出た品物の中に、「しょくらあと六つ」という記載があった。

以降、1918(大正7)年に森永製菓が初めての国産ミルクチョコレートを発売し、第二次大戦後には進駐軍がチョコレートをバラまいた。

しかし現在、国内のチョコレート市場、最大のイベントと言えばもちろんバレンタイン商戦だ。

少し前までは、このシーズンに国内消費の約2割が集中すると言われていた。

日本で『バレンタインデー≒チョコレート』になったのはいつからか?

これ程までに、バレンタインデー≒チョコレートとなったのはいつからか。

過去にも新聞などでその由来について調べられてきたが、現代へと続く流れはどうにも判然としない。

例えば1985年8月12日付の日経産業新聞の記事には「日本チョコレート・ココア協会(会長中川赳明治製菓社長)によると『元祖争いが激しくて起源はよく解らない』」と記されている。

更に遡ること28年、1957年2月17日付の朝日新聞には「二月十四日を聖ヴァレンタイン・デーとして、女から男への、恋の打ち明けにつかうのは、いつの世からの習わしか。(中略)外国間の、何となくしゃれた習わしだからと飛び付いて、二月の商売不振に売り出された贈り物の数々」とある。

1957年の時点では「ギフトを介しての女性から男性への告白」という息吹はあったものの、まだ「バレンタイン≒チョコレート」は定着していなかった。

だが1985年には起源が追えないほど、当たり前の文化になっていたという事になる。

この28年間にバレンタインデーにはどういう変遷があったのだろうか。

日本のバレンタイン『モロゾフ』起源説

モロゾフ(Morozoff)のチョコレート

年代の早い起源説には神戸の「モロゾフ」説がある。

1936(昭和11)年の英字新聞「ジャパンアドバタイザー」に”For Your VALENTINE Make A Present of Morozoff’s FANCY BOX CHOCOLATES”と書かれた広告が掲載された。

当時、神戸の旧外国人居留地などに住んでいた外国人に向けた広告だったが、これがいつしか日本人にも広まり、バレンタイン≒チョコレートという図式につながったという説だ。

実はこの前年から数年間、モロゾフは同紙にバレンタイン広告を打っているが、1935(昭和10)年の見出しは”Sweetest Valentine of Them All―””A HEART-FULL of MOROZOFF’S SWEETS”となっている。

広告中にchocolatesの文字は確認できないし、内容も「バレンタインという価値ある習慣」の紹介に軸足が置かれている。

いずれにしても、この広告が掲載されて数年後、第二次世界大戦が開戦する。

国内の物資や食料が著しく欠乏し、「贅沢は敵」という言葉が生まれた。

英語は敵性語とされた時局を考えると、戦前の英字新聞への広告が、現在のバレンタインにどれほど影響を与えたか、懐疑的な見方をせざるを得ない。

そもそも、現代へと続く日本の食文化が花開いたのは、第二次大戦が終わってからの事だ。

確かにモロゾフは先鞭をつけたのかもしれないが、現在へと続くバレンタインチョコレートの流れの端緒とするには少々強引な感がある。

モロゾフ伝統のチョコレートセレクション プレミアムチョコレートセレクション 16個入

日本のバレンタイン『メリーチョコレート』起源説

メリーチョコレート(Mary Chocolate)

 

現代日本へと続く大衆食文化が可視化されるのは昭和30年代の事だ。

高度成長期に突入すると、前出の1957年の記事のように新聞にもバレンタインの記事が散見されるようになる。

もっとも、チョコレートとの関係性はまだ薄い。

この時点では「殉教した、キリスト教の聖徒バレンタインにちなんで、愛するひとに手紙や贈り物をする習慣」という本来のヨーロッパの風習の紹介にとどまっている。

ただし、この頃から微妙に空気が変わってくる。

1958年、東京のメリーチョコレートカムパニーが「バレンタイン・フェア」を新宿・伊勢丹で開催。

1960年には森永製菓が広告展開を仕掛ける。

曰く「あちらの映画・TVでおなじみ<愛の日>バレンタインデー。若いヒトが贈物や手紙を交換しあう日です。チョコレートをそえて贈れば、レイケンアラタカとも……あなたも一度ためしてみては?!」(原文ママ)。

「主」がプレゼントで「従」がチョコレートでは有るが、この頃から販売店も積極的に売り場展開を始める。

1965年に伊勢丹、1968年にはソニープラザも「バレンタインにチョコレートを」フェア展開に乗り出した。

1960年頃には、「バレンタインにはプレゼントを」「プレゼントにはチョコレートを添えて」という二段構えの提案だったのが、1960年代に「バレンタインと言えば、チョコレート」と簡略化される流れが造られていった。

メリーチョコレート(Mary Chocolate)のチョコレートミックス

既製チョコのプレゼントが定着した1970年代

 

そして1970年代に入ると、バレンタイン=チョコレートという共通認識がようやく社会的に醸成されていく。

象徴的なのが、1972年2月10日付の朝日新聞のコラム「デザインの目」だ。

同コラムでは「二月十四日のバレンタイン・デーを特集している雑誌などでは『この日に手づくりのお菓子を贈りましょう』と勧めている」とある一方、「バレンタインデー用の既製品、例えばハート型のチョコレートなどをお買いになる人が殆ど」という町の専門店の声を紹介している。

広告を含むメディアは「手づくり菓子」提案をしていたが、すでに実態は小売店での「チョコレートの販売・購入」となっていた。

モロゾフから36年、メリーチョコレートから14年。

様々なメーカー、販売店の思惑と施策を積み重ねた日本のバレンタインは1970年代にようやく日本社会に定着していった。

『義理チョコ』はなぜ誕生したか?

 
義理チョコ

ハロウィーンもそうだった様に、舶来のイベントは国内に定着するのに時間がかかる。

そして定着するやいなや、目まぐるしく変質する。

バレンタインも例外ではない。

チョコレートを介したコミュニケーションは、世相や若者の気風を写し取るように変化していく。

その黎明期から1970年代までのチョコレート導入期においての「バレンタインチョコレート」は「女から男への、恋の打ち明け」という意味での「本命チョコ」として浸透していくが、日本オリジナルのバレンタインカスタマイズが始まる。

しかも日本人の国民性を携えて。

初期のカスタマイズは「シャイ(恥)」な日本人の気質、「ムラ社会」という日本社会の特徴、「返礼品」という日本社会の習慣が反映されている。

1970~80年代に登場した「義理チョコ」や「ホワイトデー」がそれだ。

「女から男への、恋の打ち明け」というイベントは浸透しても、国民性はそうそう変化しない。

当時の女性たちは現在よりもシャイだったし、過酷なムラ社会に生きていた。

本命への告白には、気恥ずかしさが伴う。

また、学校や会社という小さなムラ社会で、安全・快適に暮らすには、攻撃材料にされない様な工夫が必要だった。

勇気を出せない同性からの嫉妬、男性の上司や先輩からの羨望を込めた嫌味。

ムラ社会で生き延びるには、攻撃対象になってはならない。

そこで生まれた工夫が「義理チョコ」である。

「義理チョコ」とはその性格を考えると、本来「筋違いチョコ」とも言うべきものだ。

「本来、差し上げる必要はありませんが、そんなあなたから筋違いな責め苦を負わないため」のチョコ。

本来何の義理もないが、筋違いな忠義を求める心に火をつけない為に必要な処世術アイテムだった。

1982年12月22日付の日本経済新聞の「ロッテは来年のバレンタインデー向けのチョコレート商戦で(中略)女の子が男の子へ”あいさつ”がわりに気軽にプレゼントするという”義理チョコ”が最大の売れ筋とみた」という記事からも現象に対するメーカーの後追い戦略である事が窺える。

日本独特の習慣にハマった『ホワイトデー』

 

一方「ホワイトデー」はメーカー主導で展開された。

1970年頃から、不二家やエイワといった製菓メーカーがそれぞれ「バレンタインにはお返しを」とキャンディやビスケットなどの販売促進にいそしんだ。

直接のきっかけとなったのは、福岡の老舗菓子店「石村萬盛堂」だろう。

当初は「マシュマロデー」という名前だったというが、この提案は贈り物に対して、「返礼品を渡す」という日本独特の習慣に見事にハマった。

最近では、都内の菓子専門店に話を聞くと「バレンタインよりも、ホワイトデーの方が数が出る」という。

ホワイトデー、義理チョコともに日本の社会に定着していったが、いずれもいわゆる「虚礼」そのもの。

1998年には東京都庁が「義理チョコは香典のやりとり、出張時のみやげ」などと並び、「虚礼」とみなされ、義理チョコは禁止される事に。

もっとも当時の報道によれば「都の『慣例・慣行点検委員会』(中略)の担当者は『本命までは禁止していません』」(1998年2月14日付朝日新聞)という流れも。

是々非々で判断したという事か。

世相を表す変化――『友チョコ』『ごほうびチョコ』

 

次なる変化は21世紀に入る頃、「友チョコ」の登場だ。

すっかり日常に定着した義理チョコはこの頃になると、「バレンタインデーが友情確認の場にもなりつつある」(2003年1月16日付日本経済新聞)など女性同士の間でもやりとりが行われる様になる。

折しも時代は「失われた10年」と言われる平成不況直後。

不況が蝕むのは家計だけではない。

ゆとりがなくなれば、何かと気ぜわしくなり、忙しさから心を失う。

女性たちは本命の本音を探る事に疲れ、義理もないのに同調圧力の様に強要される義理チョコを放り出した。

同性同士、もしくは性差を気にせず付き合う事の出来る、気やすい関係性の間でチョコレートをやりとりする様になっていく。

バレンタインの位置づけも変わってきた。

2006年頃から増えてきた自分の為に、自分の好きなチョコを買う「ごほうびチョコ」もすっかり定着した。

いつの時代もチョコレートは世相を表している。

終戦後には進駐軍のジープに子どもたちが群がり、高度成長期には、製菓業界の販促企画として活用された。

そして今やチョコレートは菓子業界のけん引車と言っていい存在だ。

売り場を見れば、懐かしき板チョコから、ビーン・トゥ・バー(豆からチョコレートの生産までを一貫して手がけるスタイル)やチョコレートの成分比率が定められたアイテムまでまさに百花繚乱。

普段からこれ程のバリエーションがあれば、もはやチョコレートにバレンタインというラッピングは必要ないのかもしれない。

如何でしたでしょうか?

バレンタインにチョコレートを贈るという日本独自の伝統の起源を紐解くと共に、義理チョコが生まれた文化も掘り下げて、興味深い内容となっているかと思います。

周りの視線や嫉妬を防ぐ為に義理チョコが生まれたというのは、中々説得力が有る考察に感じました。

そして・・・都内の菓子専門店によると「バレンタインよりも、ホワイトデーの方が数が出る」というのは驚きですね!

考え方としては、ホワイトデーはバレンタインのお返しな訳ですから、お返しの方が数が多く売れる・・・というのは、不思議ですよね?

この点は、もっと掘り下げて欲しかったな・・・と思ってしまいました。

管理人プレゼントソムリエ管理人プレゼントソムリエ

ホワイトデーに関しては、こちらも参考にしてみて下さい。

参考⇒日本のホワイトデーの歴史~石村萬盛堂が語るホワイトデー~

バレンタインの起源、発祥を紐解く記事、皆さんはどの様に感じましたでしょうか?

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